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北沢俊美と長尚元教授は情報開示せよ

県知事選挙が終わった。終わってみれば村井仁が60万票強を獲得し、現職の田中康夫に8万票の差をつけて当選を果たした。田中康夫のそれまでの支持率からみれば、田中康夫の得票値はほぼ予想されていたものであったが、村井票が読めなかったのは、】最終的に田中vs村井となるまでの経緯があまりにもお粗末だったことになる。

候補者擁立までの間にはゴタゴタが相次ぎ、結果として田中康夫支持を一時的にしろ40%台にまで持ち上げるまでになった。しかしそれは反田中の動きへの反発であり、得票への動きにはなりにくい。
その経緯を簡潔にまとめたものがヤフー掲示板にあった。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=2000570&tid=d9lna4nc0afbca3a1a69tc0afa1daaa1a6a5fa5sa5wa5lbd8&sid=2000570&mid=440

候補者擁立の動きを振り返ってみると、形だけとはいえ県民の意向を意識して候補者選びを表に出してきた自民に対して、民主党の態度の不透明さが目に付く。反田中の一翼であるが自民との相乗りはできないという中で統一候補幻想に踊らされ、結局何もできなかった民主党。
いや県議レベルではしっかりと反田中の動きをしていた。こと田中康夫に関しては、民主の長野県連のほうが中央よりもはるかに実状を承知していて、というよりは民主の執行部が自民との対立路線だけを前面に出していて、肝心の県民、国民のほうを向いていないのだ。昨年の郵政民営化解散後の選挙大敗や今年の永田メール問題の反省教訓は未だ民主党内で生かされていないようだ。
北沢俊美はいわば間抜けな上層部(党執行部)と住民との折衝に当たる兵隊(地方議員)との間に立たされた中間管理職ともいえる。ここまでの経緯をつまびらかにしていただきたいものだ。

そしてもう一つ、忘れ去られているが、一般県民有志を名乗って候補者擁立を図った、長尚、湯本清ほかの人達はその後沈黙を続けている。
候補者擁立断念に関して沈黙を続けているのには理由があろう。候補者側の事情か、あるいは担ごうとした側の事情か、言葉を濁らせたまま実態は伝えられていない。橋本市擁立に動いた5団体の間で不協和音があったことはちらほらと聞こえてきている。
選挙が終わり、公選法の縛りは無くなった。沈黙を保つのは本人達にしてみれば潔いのかもしれないが、県民有志を名乗った以上、県民に対して公開すべきは、たとえ彼らが汚れ役になろうとも公開する義務が彼らにはある。ここへきて沈黙を続けることは、そうした汚れ役を回避していることに過ぎない。その気概が無いのであれば、県民有志などというきれいごとの名乗りは一切やめてもらいたいものだ。



8月11日(金) | トラックバック(42) | コメント(173) | 田中康夫 | 管理

必然の結果である田中康夫政権の終焉

8月6日の知事選で現職・田中康夫は新人・村井仁に破れ、6年にわたる田中県政は終焉を迎えることになった。
原因は県庁の私物化(公私混同)、住民票問題他の知事業を悪用したトラブル多数、利権・疑惑、脱ダム等のその後への失望、いろいろあろうが、これが端的に物語っている。
大石英司の代替空港「仕事をしなかったから」
http://eiji.txt-nifty.com/diary/

ほか、田中康夫に批判的な県政検証ブログ
http://blog.livedoor.jp/tuigeki/
http://sinshuuhiguma.fruitblog.net/
http://mutekatsuryu.seesaa.net/

一方で世間にはこんな意見もある。
雑草譚
http://god-net.way-nifty.com/god_net/2006/08/post_eda6.html
破壊王子流勝手日記
http://hakaiouji.cocolog-nifty.com/koya/2006/08/post_9be0.html

後者に挙げたものが長野の県政の実態をろくに知らずして書かれているというハンディキャップは止むを得まい。ただ、破壊王子流勝手日記のようにそれをもって事情通ぶるような愚かなことは、自身の恥になるだけなので程々にしておくべきであろう。そこに引用されているものは、田中康夫支持者が街宣工作のように垂れ流していた事ばかりであるが、長野県民の多くはそんな上っ面のことに騙されなかったのだ。

田中康夫の県政は、TBSやフジテレビ顔負けなほどのやらせ行為の連続だった。テレビ番組の演出を最初は面白がっていても、いずれ飽きてくるし、ネタがばれてくると辟易としてくる。そのために演出はいっそう過激になる。中身でなく演出、数字に凝る。田中康夫の県政、とりわけ2期目はまさにそういった状態だったのだ。
改革を標榜しながらつまみ食いだけで実態は何も進まず、サービスを名乗りながら自己PRばかり、今の県庁サイトトップページがそれを物語っている。「~をしました!」のオンパレード、しかもよくよく中を見てみれば誇大広告、7月の災害にしても職員派遣を宣伝するより災害に関する情報を積極的に流すべきだとする批判が相次いでいた。
これでは県民の支持率が落ちるなというほうが無理であり、必然の結果として田中康夫の支持率は全国最低、不支持が支持を上回るという前代未聞のことが起こった。一方で東京では自民へのアンチテーゼということで田中康夫はテレビ等でもてはやされたが、そこに出てくる田中康夫像は昨年に田中康夫を贔屓にしていた某番組のタイトル通りに2001年脱ダム宣言の頃のままであり、時計が止まったままの東京から全国へ垂れ流される情報が長野の実態に全然ついていけてないということがずっと続いていた。これでは、長野以外の在住で、とりわけ長野に深く関心を持っていない人が、浅い情報だけで田中康夫を評価しようとする方に無理がある。 

一つ認識しておきたいのは、知事選モードに入る前の県民による知事支持率と、今回の2候補の得票とに非常に相関性があること。有権者約180万人に対して田中康夫の得票は約30%で、その当時の支持率(消極的支持を含む)とみごとに符合する。共産離れも噂されていたが、それでも田中康夫に組織票が無いというのは真っ赤な嘘で、40~50万票は堅いとされていた。つまりもともと、田中康夫の得票は事前に分かっていたともいえる。
むしろ得票が読めなかったのは村井仁のほうだったが、村井仁は浮動票を獲得し、細川首相夫人ほかの応援を受け、おおかたの予想外の健闘を見せて60万票に乗せた。



8月11日(金) | トラックバック(0) | コメント(0) | 田中康夫 | 管理


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