生き様いろいろ、あれもこれもいろいろ
 
目に付いたものを残します
 



必然の結果である田中康夫政権の終焉

8月6日の知事選で現職・田中康夫は新人・村井仁に破れ、6年にわたる田中県政は終焉を迎えることになった。
原因は県庁の私物化(公私混同)、住民票問題他の知事業を悪用したトラブル多数、利権・疑惑、脱ダム等のその後への失望、いろいろあろうが、これが端的に物語っている。
大石英司の代替空港「仕事をしなかったから」
http://eiji.txt-nifty.com/diary/

ほか、田中康夫に批判的な県政検証ブログ
http://blog.livedoor.jp/tuigeki/
http://sinshuuhiguma.fruitblog.net/
http://mutekatsuryu.seesaa.net/

一方で世間にはこんな意見もある。
雑草譚
http://god-net.way-nifty.com/god_net/2006/08/post_eda6.html
破壊王子流勝手日記
http://hakaiouji.cocolog-nifty.com/koya/2006/08/post_9be0.html

後者に挙げたものが長野の県政の実態をろくに知らずして書かれているというハンディキャップは止むを得まい。ただ、破壊王子流勝手日記のようにそれをもって事情通ぶるような愚かなことは、自身の恥になるだけなので程々にしておくべきであろう。そこに引用されているものは、田中康夫支持者が街宣工作のように垂れ流していた事ばかりであるが、長野県民の多くはそんな上っ面のことに騙されなかったのだ。

田中康夫の県政は、TBSやフジテレビ顔負けなほどのやらせ行為の連続だった。テレビ番組の演出を最初は面白がっていても、いずれ飽きてくるし、ネタがばれてくると辟易としてくる。そのために演出はいっそう過激になる。中身でなく演出、数字に凝る。田中康夫の県政、とりわけ2期目はまさにそういった状態だったのだ。
改革を標榜しながらつまみ食いだけで実態は何も進まず、サービスを名乗りながら自己PRばかり、今の県庁サイトトップページがそれを物語っている。「~をしました!」のオンパレード、しかもよくよく中を見てみれば誇大広告、7月の災害にしても職員派遣を宣伝するより災害に関する情報を積極的に流すべきだとする批判が相次いでいた。
これでは県民の支持率が落ちるなというほうが無理であり、必然の結果として田中康夫の支持率は全国最低、不支持が支持を上回るという前代未聞のことが起こった。一方で東京では自民へのアンチテーゼということで田中康夫はテレビ等でもてはやされたが、そこに出てくる田中康夫像は昨年に田中康夫を贔屓にしていた某番組のタイトル通りに2001年脱ダム宣言の頃のままであり、時計が止まったままの東京から全国へ垂れ流される情報が長野の実態に全然ついていけてないということがずっと続いていた。これでは、長野以外の在住で、とりわけ長野に深く関心を持っていない人が、浅い情報だけで田中康夫を評価しようとする方に無理がある。 

一つ認識しておきたいのは、知事選モードに入る前の県民による知事支持率と、今回の2候補の得票とに非常に相関性があること。有権者約180万人に対して田中康夫の得票は約30%で、その当時の支持率(消極的支持を含む)とみごとに符合する。共産離れも噂されていたが、それでも田中康夫に組織票が無いというのは真っ赤な嘘で、40~50万票は堅いとされていた。つまりもともと、田中康夫の得票は事前に分かっていたともいえる。
むしろ得票が読めなかったのは村井仁のほうだったが、村井仁は浮動票を獲得し、細川首相夫人ほかの応援を受け、おおかたの予想外の健闘を見せて60万票に乗せた。



8月11日(金) | トラックバック(0) | コメント(0) | 田中康夫 | 管理

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